エンジン01のC教室2時間目の「いじめ自殺」を受講した。
●講師は中学校の校長経験者である講師の藤原和博さん、パネリストがケントギルバードさんと中井美穂さん。
●早く並んだのでケントギルバートさん中井美穂さんの目の前に座ることができ、始まるまでにお二人が話していることも聞こえてきたり得した気分
●中井美穂さんは同じ年同じ月生まれで、中学時代、校内暴力全盛で・・・なんて話はじめて、懐かしく思えた。日々の生活で言葉を大切に使っていること、自分の言葉が人を傷つけてないか意識していることがわかり、共感した
●ケントギルバートさんは、ご自身や息子さんの体験談はなるほどと思えた。息子と母親はどんな問題でもよく話す。父親(ケントさん)はその話を母親から聞くという話なんて頷ける。
●藤原さんの全体の進行についてはいじめと体罰両方扱うのは時間的に無理があったと思う。大阪の桜宮の事件があって話題性があるのはわかるがスポーツ選手と体罰問題というのは本来のテーマのいじめ自殺とはかけ離れている。体罰は教師のいじめといえなくもないが、教師のいじめといえば、言葉の暴力の方が多いと思う。話題性よりも地に足のついた議論、つまり、いじめから発展する不登校や自殺、そのときの子供の心、生徒や保護者の立場での議論や学校とは何か? 教員に求められる資質は?義務教育とは?という本質の議論に時間をかけるべきと思った。ただ体罰問題の際に有森裕子さんや田中雅美さんが議論に加わったのはサプライズでいい面もあったとは思う。
●最初に藤原和博さんが「あなたは転校生で、そのクラスでは一人の生徒を無視していて、あなたも仲間に入るように言われたらどうするか?」という質問を来場者に問いかけたが半数が仲間に入るほうに手を上げた。
私はこういう質問がでること自体に違和感を覚えた。こういう状態になるまで教員は誰も気づかないのか?それが今の学校の問題ではないか?気づいていても見て見ぬふりをする教員は最低だがいじめにしろ、体罰にしろ、気づかないことも問題である。
●一番残念だったのは、藤原和博さんがケント・ギルバートさんがいいこと言っているのに「後で取り上げます」と言ってそのまま取り上げなかったこと。
いじめ防止について、いじめた生徒を出席停止にするなどの法制化という話が出たときに、ケント・ギルバートさんは教員の問題や教育委員会の在り方についてコメントしたが、
いじめについては、生徒によるいじめと、いじめた生徒に対する罰則についての議論までで終わってしまった点だ。校長経験者なので身内批判はしたくないのか、身内は悪くないお思っているのかわからないが浜松市や浜松市教育委員会に配慮しているようにも感じた。
罰則法令化するなら「教員によるいじめ(自覚の有無を問わない)」、「教員がいじめを見て見ぬふりをした場合」なども罰則を設けるべきだと思う。また罰則とまではいかないか担任になれる必要条件を明確にすべきだと思う。
他方、中学は義務教育。思春期の子供にとって学校教育は必要ゆえに義務教育なのではないか?いじめっこもいじめられる子も、それ以外で身体や心が傷ついた子も皆、教育を受ける権利がある。いじめ側の生徒を出席停止にするという議論の前にクラス経営、学校経営をしっかり議論すべき。
中学は義務教育。思春期の子供にとって学校教育は必要ゆえに義務教育なのではないか?学科を教えるだけでなく、困っている生徒がいたら皆でその子のことを考え一緒に解決したりすることの大切さや、我慢など生きていく力を身につける場ではないか。そういう指導ができるかいなか クラス担任を持たせるかはそういう目で見て欲しい。教員不足だからと誰にでも任せていいものではない。
●「いじめにあったとき頼りにするのは誰?」という質問に対して教員の手を挙げた人が一番少なかった今の学校では何故頼りにされないのか?という議論には進まず消化不良
誰も頼らない人が多いのは何故か?(プライド?信頼関係?親に心配かけたくない等・・・)というところまで話が進んだが、じゃあ周りはどうすべきか?という議論に進まなかったのは残念教員は?クラスメートは?家族は?PTA、地域は?という話にまで進んで欲しかった。いじめでも不登校でも先生方の言い訳は「生徒が話をしないので・・・」というもの。 でも辛い目にあっている本人から話すことが難しいのは皆知っているはずなのに。
●義務教育には一人100万円かかっているという話があった。それゆえその100万円を今のように教育委員会に任せるのと1000円×1000枚のバウチャーで生徒(保護者)に渡して自由に使えるようにするのとどっちがいいという質問があったこれも優先して議論するポイントではないように思えた。
●最後に藤原和博さんが隠蔽はよくないと言っておられたが、この点は賛同。